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侍ジャイアンツ [日記]

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ここ最近、京浜東北線が災難に遭っていますね。
今日も、電車に乗っていたら直前を走る電車に異音がして急停車。
御陰で、私の乗った電車も15分遅れで最寄り駅に到着しました。
微妙に交通不便な駅に止まったので、振替乗車も出来なかったです。

で、雨が降っていたのも束の間、晴れてから急にくしゃみが止まらず…。
今年はかなり早くに花粉症がやって来たみたいですね。
御陰で頭が重く、くしゃみは連発、鼻水はズルズルで、時節柄「新型コロナウイルス?」などと冗談とも何とも言えないギャグを周りから飛ばされました。

それにしても、時節柄、厄介な時に妙な病気が流行ってくれるものです。

で、そんな話はさて置き、この前から書こう書こうと思って、風呂のカランがぶっ壊れたので書けなかったのですが、野村監督の訃報。
阪神の監督や楽天の監督、それにヤクルトの監督と各チームの監督を渡り歩いた人ですが、子供心に強烈に焼き付いているのが南海ホークスのプレイイングマネージャーだった時の野村さん。

阪急ブレーブスや近鉄バファローズと関西では三つ巴で常に覇権を争っていました。
阪急のスマートさに比べるとかなり泥臭いイメージでしたっけ。

で、なんで強く印象に残っているかと言うと、当時私が何故かよく見ていた「侍ジャイアンツ」と言うアニメに野村さんが出て来ていたから。
「巨人の星」は余り好きでは無かったのに、何故かこのアニメは結構みていたのですよね。
ちなみに、当時私は漫画を読んだことが無い子供でした。
親が嫌いだったからか、中学に入るまで漫画を買ったことも無ければ見た事も無かったです。
なので、少年ジャンプやらマガジン、サンデーなんて精々が散髪屋さんに行ったときにしかみることがありません。

しかし、テレビでは幾らでもアニメをやっていて、それはよく見ていましたね。
特に夕方の17時半からは子供にとって至福の時間でした。

話を戻して野村さんが何で印象に残っているのか、全く覚えていないのですが、恐らく最終回くらいじゃないでしょうか。
日本シリーズで巨人が、野村さん率いる南海と戦うと言うシーン。

主人公の魔球の弱点(確か強く握るから手が滑ると球がすっぽ抜ける)を野村さんが見切って、「ポールの風が回っとる。だから、そろそろ雨が降る」と言うと、雨がポツポツ降ってきて、主人公の手が濡れて滑る状態に。
途端に魔球の威力が薄れ、ポカスカ打たれると言うシーンだったように思います。

主人公が悩んでいたら、キャッチャーが「濡れた手で石鹸を掴むこと」に思い至り、魔球が見事に復活すると言うのが次にあって、野村さんが臍を咬む思いをすると言うシーンがあったのかな。

しかし、再び野村さんが魔球封じを思いつき、それが見事に当てはまる。
そうして一打逆転のシーンとなり、最後、外国人選手が主人公を仕留める寸前まで行くのですが、最後に主人公が渾身の力を込めて投げた超分身魔球で難局を乗り切り、巨人が栄光を掴むと言うのだった様に記憶しています。

確か原作だと、主人公はマウンドで力尽きて死んでしまうんじゃ無かったっけ。
流石にテレビではそんなシーンを出すのは憚れたのか、満面の笑みで高級車のオープンカーに乗って居ると言うシーンでエンディングだったような気がしましたが。

主人公を翻弄する知将として描かれていたのが、妙に印象に残ったのかも知れません。
その後も、打倒巨人をモットー?に、様々なチームで巨人と対峙してきた訳で、「野村の前に巨人あり、野村の後に巨人無し」みたいな感じではなかったでしょうか。

思えば、私がアンチ巨人なのも、これが影響したのかも知れません。
そう考えると、野村監督の影響は凄いものだな、と思います。

私生活では色々ありましたが、概ね良い人生を送ったのでは無いでしょうか。
遅くなりましたが、ご冥福をお祈りします。
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