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カレーには罪は無いじゃないか [日記]

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今日は上つ方への報告。
隔月で怒られる波が来ていて、今月は怒られる月でしたが、司会が上手く考えて?個人報告を短時間で実施せざるを得ない状況になったので、怒られずに済みました。
と言っても、今月ちゃんとしないと怒られるのが来月になっただけと言う説もありますが。

帰ってきたら彩ちゃんの活動休止の発表。
ここんとこ余り体調が良く無さそうで、何となく予感はありましたが、遂に来たかと言う感じ。
本人かなり真面目でストイックなので、妥協するのが難しかったのだろうなぁと思います。
若いので、ここできちんと療養して、元気な顔を見せて欲しいですが…。

それにしても、このグループには何故宗教の教祖のように次から次へと困難が降りかかってくるのだろう。
正直、これ以上メンバーが減ったらひなたちゃんは反対したけど、新メンバーを追加するしか無いのではと思ってしまいます。
出来ればそうなって欲しくは無いのですが、こればかりはねぇ。

時にここ最近世間を騒がせている神戸にある某小学校の教員いじめ問題。

神戸市教育委員会が、「生徒にいじめ問題を想起させる」というので、当面、カレーを給食にしないという対応を発表して波紋を呼んでいます。

我がCommunityの教育委員会も、「いじめの定義が曖昧だ」なんて国に楯突いているわけですが、総じてどこの教育委員会でも、本当に教え育てることをやっているのだろうか、と思ってしまいます。
そもそも、国家が教育に関与して民主的な教育が出来なかったのを排除すべく、行政府とは独立した形で戦後日本と言うかGHQが教育委員会という制度を作っていた筈ですが、完全に制度疲労を起こしているように思えるのです。

本来、教育機関というのは地域に開かれたものであるべきで、誰でもそこに行って、やろうと思えば、一緒に教育を受ける事が出来ると言うのが理想では無いかと思ったりするわけです。
何時しか、その「教え育てる」と言う部分が蔑ろにされてきたから、変にバリアーを張り巡らせ、教育機関と地域を乖離させているのでは無いでしょうか。

更に行政府との一体化を促し、独立した機関としての地位を失っているように思えます。
そろそろ、教育委員会というものを一度解体するべき時期に来ているのでは無いでしょうか。

例えば、役所の住民課とか地域福祉の部署が学校も所管する方式にするとか。
ただ、そうなると教育委員会が行政府に代わっただけで余り変化は無いでしょうから、学校の教育と事務を分離して、事務部分だけ役所の管轄に置き、教育部分は各校の独立性を高める、とか。

先生は教育に専念して、給食費徴収だとか成績管理とか細々した日常作業はバックオフィスとして集約する、また相談事については先生に対応させるのでは無くて、それこそ弁護士や警官、医師など専門職からなる機関に任せると言う風に1つの学校で全てのことをするのでは無く、権能を分離させれば、教師は雑務からは解放されるでしょうし、事務部分は効率化されるでしょうし、変なバイアスや隠し事の無い状態が出来るのでは無いだろうか。

そうしておいて、校長の裁量権を大きくして、生徒が自由に学校を選べるという方式にすれば、良い意味での競争を取入れられ、学校としての特色も出て来るのでは。

こう書いていてふと思い出したのが私の高校時代。
うちの校風は他の学校と異なって管理教育では無かった上に、でもしか先生は余りいませんでした。
何故かと言えば、校長が教師を集めるのに、教育委員会が任命する教師だけでは無くて、独自の裁量を持っていたから。
英語力が不足していると思えば、灘高から先生を一本釣りしたりしてね。
今の学校にはそんな裁量とかすら無いのでしょうか。

こんな学校で健全な教育が受けられるのか、心身共に健全な生徒が育つのか、頗る疑問に思えます。
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