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野戦郵便から読み解く「ふつうのドイツ兵」 [読書]

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今日も今日とて言い訳資料の作成。
流石に、言い訳も尽きてきて、ホールドアップしました。
そしたら、「時間を作りなさい、そして、姿を隠しなさい」という上つ方の有難いご託宣。
前回、「予約不可」と予定を入れたら、会議の予定をぶっ込んできた人が言いますか?(笑
まぁ聞く耳を持たない人よりは遙かにマシですが。

さて、ここんとこ読書の秋な訳ですが、今日はトイレの中で長々と読んでいた本の紹介。
普段は、通勤電車の中か、トイレの中か、寝しなにベッドの中で読むことが多い訳ですが、一番読書量の多いのが通勤電車の中、次いでトイレの中です。
流石にベッドの中では直ぐに眠くなってしまう。

『野戦郵便から読み解く「ふつうのドイツ兵」 第二次世界大戦末期に於けるイデオロギーと主体性』(小野寺拓也著/山川出版刊)。

5月のちくま文芸文庫から『普通の人々』と言う本が出されていました。
これは、第2次世界大戦中のドイツ軍において、徴兵された所謂「普通の人々」が、ホロコーストなどの非人道的行為に何故従事したのかと言う研究を著した本だったと記憶していますが、こちらもこうした研究に触発された研究書です。

あくまでも研究書なので、光人社NF文庫的な読み物の類とは異なります。

ただ、『普通の人々』は単一論的な論理で全てを説明しようとしたところに無理があり、それを巡って大論争が起きていました。
元々のこの辺の研究では、ヒトラーを頂点にしたナチスの上意下達の体制がこうした大虐殺を引き起こしたと言う「意図派」と、これではヒトラーが悪いで終わり、周囲のエリート層の関与が見えなくなるので、イデオロギーに拘泥せず、多頭制支配や政策決定の累積的急進化に基づく過程を記したのが「機能派」と言う2つの対立軸がありました。

しかし、『普通の人々』では文字通り、こうした問題をめぐり、市井の人々の思想はどうだったのか、と言う両派の間隙を突いたものであり、両派はこれに十分に対応出来なかった事から、第三の視点が出てきます。

この本では、そうした第三の視点から問題を明らかにしようとしたものであり、その題材を庶民である徴兵された兵士達の野戦郵便に求めました。
ドイツには各地に図書館の一部や博物館の一部に文書館と言うものがあり、それぞれで庶民の手紙などの寄贈を受けているそうです。
その中で第2次世界大戦中に発せられた野戦郵便の総数は約30万通に上るそうですが、当時往き来していた野戦郵便の総数300~400億通からするとかなり少ない数です。
しかも、あからさまなナチス礼賛などの手紙は寄贈時に取り除かれていることでしょうから、そう言う意味ではちょっと偏った感じも受けます。

ただ、野戦郵便の実物と、ベルリン・ドキュメント・センターの国家社会主義労働者党の党員記録が確認した人を照合して、党員、非党員であることを確かめ、また、階級は将校では無く下士官以下とすることでより庶民階級に近い兵士達の手紙を研究の母数として抽出しています。
また時代は敗戦に向う1944年以降を扱っていて、当時の撤退戦において、兵士達がどう言ったことを考えていたかなどを抽出しようとしています。

しかしながら、サンプルとして抽出した研究対象のうち、擲弾兵は20%に過ぎず、一番多いのは通信兵や無線兵と言った通信兵科の人々で、その他も工兵や衛生兵と言った特殊兵科の人々が殆どになっています。
彼等は、擲弾兵として配属された兵士よりもかなりインテリ層に近い人々なので、勢い手紙についてもその知識的偏りが見られ、所謂「庶民」とは異なります。
この辺を割り引いて読まないと、もしかしたらこの本を読み誤るかも知れません。

こうした手紙の研究から読み取れるのは、先ずサンプルの殆どが特殊兵科の兵士たちなので、粗野な一般兵科の連中とは反りが合わないとか、一種のエリート意識を持っていると言う事。
擲弾兵になった人はその辺の資料が少ないし、手紙を書いても文書館に寄託するような人々ではないでしょうから、実際の庶民とは少し毛色が違うのかなぁ、と。
教育の無い連中に対しては、同じドイツ人でも批判的なのですが、それが現地人に対する略奪については悪びれることなく書いていたりする。

一方で、これだけの負け戦では国家元首にも批判が集中しそうなのですが、結構末期まで、兵士達はヒトラーに期待を寄せているのが意外です。
その分、他のエリート達(党やヒムラーやらゲッベルスやらの政府指導層や指揮官など)に対する不満は高いのですが。
この辺、今の日本と似ているような気がしないでも無い。

また、反ユダヤ感情やドイツ人優先主義があるのかと言えば、古くからの刷り込みの所為か、ユダヤ人はもとより、ドイツ民族以外の外国人(特にスラブ人やイタリア人)に対する蔑みが見られます。
しかし特段ユダヤ人について、排他的な感情は余り見受けられず、ドイツ民族以外への蔑みが全体を通して同じ様に有るだけに思えます。
まあ、そうした手紙は意図的に排除して寄贈しているかも知れませんけど。

対象が限定されているので、全体を割り引いて読む必要もありますが、総じて面白い研究書だったように思えます。

これが日本だと、先ず手紙が残っていないし、それを保管する機関も無い、また国家文書も意図的に廃棄されてしまったので付き合わせも出来ません。
人々のオーラルヒストリーは、時が経つにつれて美談化しがちですから、今から太平洋戦争を総括すると言う事が難しいと思います。
こうした研究は、欧米諸国でしか成立し得ないのでしょうねぇ。




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